来た道をしばらく戻って、バッチョの家族が住むサガレジョの街に戻る。カヘティの相当端っこの方まで行ったらしい。
前編の通り、「ジャパニーズ・サムライは行動が遅いな!」とかからかわれながら、超高速の観光ツアーで引っ張り回された我々はすっかり消耗し、うとうと気味。
バッチョが珍しく、いい提案を持ち掛けてきた。
「よければバーベキューをやろうと思うんだけど。じいちゃんが準備しておいてくれるって。途中で良い店があるから肉、買っていこう。」
やる、やる、是非、是非。肉代は割り勘で、35 GEL (1,600円くらい)とのこと。安い安い。やる、やる。
肉買うよ〜、と車を停めたのは
今はやりのタイニー・ハウス?あんまりにも簡素だからてっきりトレーラーだと思ってたら、今写真見直したら固定式だったのに驚いた。
しかし売るモノには定評があるようだ。
バッチョは買い物慣れしているらしいドライバーと共謀して、脂はここまで切れとかここを細かく切れとか様々な指示を出す。肉の買い方のコツを知るのはひじょーに大事なことらしい。
「知識がないと、同じ金払ってもひどいもんつかまされたりするからね!」
更に、肉に限らず食材を買う時、売り手の出身や素性などもしっかりと把握して、信頼を置いている売り主から買うのが重要とのこと。ちびろっくも食材を買う時、絶対に裏っかえして原材料チェックするとか、いいものなければとなり町まで電車乗るとかする結構面倒くさい人間であるが、この徹底ぶりにはおったまげる。が、同感だ。
バッチョは、これから行おうとしている、串に刺した肉を焼く行為を「バーベキュー」と呼ぶのを好まない。はたから見ればやることは一般的なバーベキューと同じだが、カヘティ州のそれは「ムツヴァディ」と呼ばれる、全くの別物であるという。
「カヘティのムツヴァディは、食材も使う道具も全て自然のものでなければいけない。それができないのならやる意味はない」
カヘティ男児は、ムツヴァディの取り仕切りを子供の頃から父親や祖父から伝承される。女性は一切介入しない。なるほど、アメリカ南部の伝統的なバーベキューと同じだ。
更に深読みすると、クリスチャンは昔から火を神聖なものとして、男が扱うものとされていたというのが元々の由来なのかもしれん。なんせここは世界で2番目にキリスト教を国教とした国。信仰心にあつく、今日のドライバーなんて教会の前を通るたびごとに十字切ってる(5分に1回くらいの頻度、ほんとに)から、左右の腕で筋肉量絶対違うと思う。
ワインの産地らしく、薪として使うのはブドウの木の枝。今、バッチョのおじいちゃんが畑から集めてきてくれているとのこと。なにもかも自然からの直のお恵みで行うバーベキューなんて、子供の頃からの夢が叶うんジャマイカ…。子供の頃にじかに享受した自然からのお恵みなんて、国道沿いに生えてるツツジの蜜吸ったことしか記憶にない。
肉屋を後にすると間もなくバッチョ宅に到着。門を開けるやいなや、お父さんかと思うほどシュッとした感じのおじいちゃん、小柄でかわいいおばあちゃんと純コーカサス(要はふくよかな)なお母さんがにこやかに出迎えてくれた。
おじいちゃんは紳士な笑顔で挨拶を済ませるとすぐさま、庭先でパチパチと燃えているブドウの枝の傍に立つ。そのシュッとした後姿にはカヘティアン男児のプライドがにじみ出ている、気がした。
裏庭には、果物や野菜、たくさんの作物が植えられていた、のだが、
ほんの数日前に数十センチも降り積もった雹のおかげで、無残にも全滅の憂き目にあったという。
ひょ、ひょう???と何のことがさっぱり理解できないちびろっくに、「雹(iceと言っていた)知ってる???」と聞き返されるが、わかってるよ、わかるけど、数十センチ降り積もるって???
もちろん、こんなカラッとした場所でしかもこの半袖で丁度いいようなこの時期に、普通にあることではない。
この日も風があっちゃこっちゃから吹きまくって、カヘティアン男児を四苦八苦させていた。天候がおかしなことになっているのは、ここも同じなようだ。自然に頼る農業が、一番気候変動の影響をダイレクトに受けるんだろうな。
さて枝が炭化するまで、待ってましたのワインテイスティング!!!
これですよ、本日の苦行観光ツアーのハイライトはここですよ!ワインテイスティングしたいつって、このツアーが実現されたのだもの、思い返せば!
枯れ果てた庭の奥に、鶏小屋みたいのがある。これが、「マラニ」と呼ばれるワインセラーである。カへティで家を建てる時は、まず何よりも先にこのマラニの位置を決める。どこまでもぶどう星人なカヘティ人である。
かんぬきを抜いてマラニに通される。
6畳ほどの広さの薄暗いワインセラー……というよりも酒蔵と呼びたい。上からぶらんとベーコンぽいのがぶら下がり、壁の棚にはびっしりと空き瓶、コンポートの瓶、ワインをつめたでかいペットボトルがぎゅうぎゅうに並ぶ。地面からちょこっと顔を出しているのは、ジョージアワイン造りはこれがなくっちゃ始まらない、クヴェヴリだ!
このクヴェヴリ造りのワイン含む、ジョージアワイン事情詳細はこちら。
「なんだーおじいちゃんこれ別のワインとっといてって言ったのにー」
と言いつつバッチョが飲ませてくれた琥珀色のワインは、イタリアやフランスのアンバーワインのような華やかさはないが、「じんわりするでしょう~~~?」という感じでじんわりしてくる。こっくりスッキリでお茶のように安心して飲める。友達んちのお母さんの作るご飯の、どっかしまりがないが安心するあの味。これ毎日飲めるなら、アル中になっても仕方ねえなあ~と、改めてジョージアの個人ワインメイキングのポテンシャルにゾクゾク。
ようやくワインが飲めて幸せな気分で外に出ると、枝がすっかり炭化して肉設置のタイミング。カヘティ男の熱い思いを聞いた後では、この肉を置くという行為すら、神聖な儀式に見えてくる。
塩水をかける。理由を説明してくれた気がするが、肉を凝視していたので覚えていない。きっと脂肪が落ちて旨みが増すのだろう。きっと。
肉が焼けるまで、家の中をぶらぶら。全く話の通じないおばあちゃんと、なんとなくニコニコしあっていると、突如おばあちゃんが
「アメリカ人…?」
英語を話す=アメリカ人という発想?
地球上だいたいの土地に、少なくとも中国人は存在しているおかげで、どこに行ってもそこまで飛躍した推測をされたことはこれまでなかった。ここはあの中国人が、(それほど)いない類まれなる土地なのである。
異国の一般家庭には面白いものがたくさんある。この玉の穴を覗くと、おじいちゃんとおばあちゃんのモスクワ旅行の写真が見える。なぜ玉に封じ込めたのかは謎だが、面白い。
さすが音楽一家なだけあって、ステレオ機器が充実している。至ってレトロ。なんか「C」が抜けてる感じがするこのメーカー、「Radiotehnica」は、ラトビアの老舗らしい。意外!
ごはんよー!の呼び声はないが、支度ができたらしいのでダイニングへ。
ぎゃー!
これが本場のスプラか!!
ひとこと解説・スプラとは:ジョージア人が太古の昔より習慣としておこなってきた晩餐会。その会で一番の年長者とか、尊敬されてる人が玉田タマダというホストを務め、平和や家族や国家や友人そして客人、さまざまなものに感謝とか敬意とかそういうスピーチをし、乾杯→そして一気飲み。この乾杯が1回のスプラで何度も何度もおこなわれる。
先程の串焼きは串が取っ払われてやってきた。その他、ジョージア人の定番のナス料理、ローストポテト、ローストチキン、酢漬けの野菜、緑豆の炒め物、自家製チーズ、そのままボリボリ食べるらしい生野菜、そしてど真ん中に鎮座するのはもちろんパン。
この食卓を彩るものは、自分ちで採れたか、地元の信頼のおける筋から手に入れたかのどちらか。
こんなに丁寧で、豪勢な食卓見たの、初めてかもしれません……………。
スプラには色々マナーがあると聞いてたので、もじもじしていると「早く食べなよ!」とバッチョ。
えと、まだみんな来てないけどいいんですか??案外適当。
芋!うまい!!肉!!うまい!!!ぜんぶうまい!!!!
嬉々としていただいていると、おじいちゃんとおばあちゃんが席に着いた。
ここで1回目の乾杯。
今回はガイジン向けの英語での乾杯なので、年長さんのおじいちゃんではなくバッチョがタマダをつとめる。お互いの、またお互いの家族の幸せ、我々が出会えたこと、これから続く友情を祈って、云々(あまり覚えていない)
さっき道端で飲んだ時にもやったのに、ちゃんと違うフレーズが出てくるのがすごい。この間はじっと聞いている。
乾杯!で、皆でグラスをチーンとやるが、一気でワインを飲んだのはバッチョのみ。おばあちゃんはちょっと口をつけて終了。しきたりよりも、自分の健康が大事という姿勢に安心し、ちびろっくもそれに倣いチビチビやる。食べている間、グラスが空になろうものなら間髪入れず満タンにされるので、常に一定量をキープ。おかげでほとんど飲めなかった。
もうテーブルに乗っかりきらないから、パンの上にサラダ。マジか〜と笑ったが、ジョージアのスプラではこんなのは当たり前らしい。なんて豊かな国。
ここでバッチョが三弦しかないギターのようなものを弾きはじめ、それに合わせておばあちゃんとおじいちゃんが歌をのせる。これが噂の、ジョージアン・ポリフォニー!
この多声音楽は、複数の独立したパートが協和する音楽…といわれてもよくわからないが、とってもワインの酔いが気持ちよくまわり、かつ旅情をかきたてられる種類の音。「人類の口承による無形文化遺産」というジャンルで、ユネスコに登録されている、ジョージアが誇る伝統音楽である。
確かにスプラには欠かせないものと聞いてはいたが、こんなグダグダな飲み会でも手抜かりがないところで、ジョージアのポテンシャルを感じる↓
通常、他人に披露するようなものでは決して無いこのシチュエーションで、この荘厳で美しい歌を歌えるということはきっとこいつらホンモノだ。と、思って念のため調べたら、この動画で一躍有名人になった兄弟らしい…。今じゃ立派な衣装をまとい、煌びやかなステージで歌うプロの歌手です。人生どう転ぶかわかりません。
なかなかお腹がいっぱいになったね~というところで、お母さん、ニッコニコしながら持ってきたのはまさかのハチャプリ。ジョージア人の超定番食、チーズモリモリのパンである。
「焼きたてだから早く食べて!!!」
て、このタイミングでそれは酷な命令だが、お呼ばれしている身分なので素直に従う。同じくしょっぱなから飛ばしすぎたトドマンも、素直に従う。
ちょっと口数少なくなったあたりで、羊か牛肉かのシチューが他の皿を押しのけてテーブルに登場!
「パンと一緒に食べて!!」
それは無理なお願いだ。
確かに両方ともおいしかった。が、出会うタイミングが悪かった。ここで相当ぐったりしたらしく、この2皿の写真は無い。
ここまで追い打ちがあるとは思わず、ペース早目でがっついたことを心底後悔する。ご飯はゆっくり食べようね!
畳みかけるような皿のサーブが落ち着いたところで、おじいちゃんがピアノに向かって着席。つづいてバッチョも着席。2人並んで、往年の(っぽい)ジャズナンバーを弾き始める。おじいちゃん!さすが、街の音楽学校の名前になるだけある腕前。どう見てもピアノとは縁遠そうなバッチョもなかなかのスキルの持ち主で、間近で聴いててちょっとゾクゾクするぞこの1世代飛ばしのアンサンブル!
続いておじいちゃんのソロ、往年の(っぽい)R&Rではバッチョがダンサーを務め、お母さんもそれに加わる。
「ジャパニーズ・ガール、カモン!!」とバッチョが誘うが、こういう場で踊るとかのテンションを持ち合わせていないのに加えて、満腹すぎて動いたらきっと吐くと確信していたので頑なにお断りをした。
おじいちゃんがかっこよすぎて目頭が熱い。良いものを食べて、ワインを飲んで、音楽などの芸術をたしなんで静かな街で暮らしていれば、こんなにみずみずしい老人になれるのか。むしろ老人とも呼べない。男だ。
宴もたけなわ、そろそろおいとまする時間となりました。
最後にもう一度、タマダが乾杯の音頭をとる。
人間は信仰する生き物だ。人はそれぞれに、信じるものがある。それぞれが何を信じていようと構わない。縁があってこうして今ここに集えたことに感謝し、そして願わくば、これを始まりとしてこの友情がずっとずっと続くことを祈る。カンパイ!!!(日本語)
ジョージアという国に、平穏が訪れたのはつい最近のこと。
帰りの車で、バッチョに気になっていたことを聞いてみた。
何故、黒を着る人が多いのか。
普通に買い物で出歩いているような老人が、全身黒ずくめなんてのはよく見るもので、ずっと不思議に思っていたのである。
宗教的な、もしくは慣習的な理由を期待していたが返ってきた答えは意外なものだった。
この国では度重なる内戦で、全人口の1/4もの人が犠牲になっている。この国の誰もが、身内の少なくとも一人を戦争で失っている。ぼろぼろになった彼らの心は、安心して暮らせるようになった今でも、無意識的に派手な装いを避けるのだという。
戦乱続きの歴史を知っているつもりでも、こんなに陽気で屈託がないジョージア人を見れば、そんな可哀想な境遇にあったことは到底うかがえない。しかしそんな時を経験しているからこそ、危険にさらされず、元気に暮らせることを喜び、偶然うまれた縁を大事にはぐくみ、めいっぱい与えられた命を生きているのだ。平和の素晴らしさは、平和じゃない時を知っている者にしかわからない。
1日がかりで、家族ぐるみで開いてくれた晩餐会、手作り料理と歌と演奏。イマイチどこにあるかも定かでない国からやってきた一見の外国人を、バッチョファミリーは愛情たっぷりで迎えてくれた。ジョージア人がもてなし好きだということは様々なところで書かれているが、文章で片付けられるほど平べったいものじゃない。できるだけ使いたくない言葉だが、ジョージア人のこの素晴らしい習性は、愛、以外のなにものでもない。バッチョが言ったとおり、こうして出会えたことは本当に幸運だよ。
ところで、カヘティ州のなかでも、バッチョの育った地域はどこよりも地元愛にあふれた人間が多く、大昔からソ連やらイランやらモンゴルやら各方面からの侵略者に翻弄されてきたジョージアにあって、超マイウェイを貫き通したところだそうだ。
バッチョが教えてくれたエピソード。
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周囲の街が次々と侵略者の手中に落ちるなか、この街は全く屈する様子を見せなかった。その手強さに業を煮やしたひとりの侵略者がある日、その街の住民を呼び集めて提案をもちかけた。
侵略者:「こちら側についた者には、褒美と、安定した生活を保証する」
聴衆:全員きびすを返して帰宅。
と、思いきや、ひとりだけ残った者がいた。
侵略者:「ほう、お前はこちら側につく気があるようだな」
残留者:「じゃなくて、あんたが立ってるその椅子、俺のだからどいてくれんかな」
椅子を持って最後の男は家に帰った。
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やる気なくすわ!
このテコでも動かない貫徹した意志、カリン塔なみのバカ高いプライド、これがタフさと優しさの源なんだろな。
マラドバ(ありがとう)、カヘティ!バッチョファミリー!
次はブドウ収穫で大騒ぎの秋に、夜露死苦バッチョ、No more 観光!
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