さて、ご心配おかけしております!

が、入院生活も早2週間を過ぎた今となっては、「本当に味覚ってなくなるんだ!」と錯覚するほど無味な病院食にも慣れ、気になる症状といえばスクワットやりすぎで筋肉痛、安物シャンプーによるフケ・カユミくらいです。

ある日の夕食、昆布多すぎ

ちびろっく、完全復活です。
18歳の頃不摂生がたたり肺炎で死にかけたけども、二度目の復活。
SARSも大震災も山賊も反日デモもうまいこと逃げおおせたちびろっく、相変わらず強運の持ち主。
ご先祖様ありがとう(多分すごい権限持ってる人に護られてると予想)!

しかしついさっき入院後初めてのPCR検査の結果、陽性でましたんで、まだまだシャバには出られません。まあいい、長引くほど入院保険がガッポリ!

 

さて前回の投稿で報告のとおり、まさかのコロナウイルス感染→入院と、こりゃなかなかのネタだということで、何がどうなってこうなったかご報告しようと思うです。

これを読んで少しでも多くの人が、生ぬる〜い日本的「まさか自分がね」の甘い考えを捨て去って、ウイルス駆逐に積極的に貢献してくれるようになればいいと思っています。
さて、まずは小言からはじめます。

 

沖縄は中国人観光客が居なくなってからものすごい人口密度が減った。しかしそんな状況でわたしは感染した。
密な環境に身をおいたわけでもなく、手洗いうがい徹底し、結構気をつけていた方だと自負する。

自分の行動に100%、落ち度がなかったかと問われれば自信をもって「ありません」とは言えない。
だけどもウイルスなんて誰の目にも見えず、隙あらば誰も彼も構わず肺にまっしぐらで行くやつらなんだから、他人と接する機会がある人間は全員感染の可能性はあるのである。

横浜の実家にいる両親は厳重に気をつけているとは言うものの、こちらとしては首都圏に近いところで、70歳近いふたりが生活していることにすごく不安を感じている。

自分が既往症もない比較的健康な40代で、それでも結構死ぬかもしれないと思わせられたんで、うちの御老体が発症したらひとたまりもないと思う。

無関心な無症状感染者の無神経な外出により、両親が殺されるかもしれない。

なので改めて言うけれども、外出ないでください。
あなた自身に何も無くても、その軽い気持ちの外出で、知らないうちに誰かを殺すかもしれない。
ここは全世界でお互い様なんで、自分や自分の家族が殺されないよう、自分が誰かを殺さないよう、そう言い聞かせて、仕事とか、買い物とか、しょうがないこと以外では家から出ないでください。

とある中国人は1DKの自宅内でフルマラソンの距離を走りきったとか、父親が突然室内でバドミントン始めたとか、ロシア人は家族総出で巨匠の絵画を再現したり、あのキングオブストリートアートのバンクシーですら在宅勤務してたりとか、まあとっつきやすいところで言うと、やたらパン焼いてみたりとか、わたしも病室ではじめましたけども、Boiler RoomとかCercleとかで踊りまくるとか、室内でできることって、頭使えば結構あるもんだよ。
中国や欧州みたいに、超本気ロックダウンじゃないので外出たい気もするかもしれないけど、できる限り、控えましょう。

感染拡大を〜とか言われると、あんまりピンと来ないだろうけど、最終的にはそういうことなんです。
他人との接触の可能性を上げることで、誰かが死ぬ可能性も上がる、ということ。

加えてもうひとつ。このブログを読んでくれている人ではないとは知っているけれども言いたい。
友人から聞いて初めて知ったけれど、感染者への差別やバッシングが起こっている?最前線でウイルスと戦う医療関係者が標的に?冗談じゃない。
陰湿かつ非建設的な態度で、ただでさえ疲弊した世の中を輪をかけて萎えさせるようなバカども、現実を見よ!ウイルスはすべての人間に対して平等である!すべての人間が感染の可能性があることを忘れるな!
わたしは感染者としての体験をもとに、引き続き偉そうに警鐘を鳴らしていくのでみなさんよろしく!

 

はい、では入院までの道のりいきます。

4月5日夕方、突然バットで殴られたような頭痛に襲われるもすぐ終わる。

その日の夜、なんかドッと疲れたと試しに体温計ると……おやおや来たね37度超え。平熱が36度いかないちびろっくにはすでに結構な高熱。

けんちゃんはすぐさま自分の寝床をリビングに移す。
平常時はこれを家庭内別居と呼ぶが、この非常事態の下では隔離と言う。

以下、ちびろっく症状発症後の対応を記載。(けんちゃんのFBポストから引用)

■妻が発熱してからやったこと
1.寝る部屋を別に
2.家のなかでもマスク、寝るときもお互いマスク
3.妻が触ったものはアルコール消毒(トイレも風呂もね)
4.双方ゴム手袋装着

■妻が隔離されてからやったこと
1.部屋中の掃除、洗濯
2.使ったものと殺菌、消毒
3.発症後のルート確認と関係者への連携

この対応が功を奏したか、現時点けんちゃんの健康状態全く問題無し。ありがたいことです。

にしても、ズボンかなんかの裾がビラビラするのでなんかで留めるけど、なかなかまとまらないとか、やたら自作のカクテルを飲ませたがる人間にずっと付き合わされるなどの軽度の悪夢で眠った感じがしない。熱が出るといつもこんなだ。

翌日からみるみる熱上がり、翌日以降は39度から下がらない。節々痛い。こりゃコロナ…まさかね、インフルだろ。でも病院に行くにも起き上がれない。

どのみち、けんちゃんがいくつか電話してくれた病院は、軒並み「うちじゃちょっと診れないんで」と診察拒否。ま、コロナ感染者かもしれない人間をあたたかく迎えるところなんかないのはわかる。院内感染なんてことになったら終わりだ。

 

本を読む気力もなくこの状態で1週間弱

そこでけんちゃんは保健所に連絡をしてくれた。

咳とか呼吸器系の症状がないからか、PCR検査をする必要は今のところ無い、と断言される。
そして「保健所から受診を勧められた」と、病院にアピールしてみてということで、ひとまず先日、人間ドックでとってもいい感じだった某病院に連絡すると、明日の朝なら診察可とのこと。一晩我慢して、4月9日、なんとか起き上がりタクシーで向かう。

昨日電話をしたのだけど…と受付に伝えると、前回の超アットホーム対応とは打って変わっての冷徹対応。
ものすごい嫌な顔され、速攻で別室に連れて行かれる。暫く待つとマスクと手袋した女性が来て、問診。
一通り症状について説明すると、「えーと、なにか検査したいんですか?」

この人はなんのつもりで問診してたんだろうと驚きつつ、一番可能性が高いと思われたので「インフルエンザ、お願いします」と返答。

女性は引っ込み、30分ほどボーッと待っていると、それこそ病み上がりのボリス・ジョンソンみたいな医者が、マスクも手袋も無しのノーガードで突然部屋に押し入ってきて、ハイ検査しますよーとササーと鼻になんか突っ込んでササーと去っていった。

また30分ほどボーッと待ち、またノーガード・ボリスが押し入って来て、ちょっとそれらしいことをなんか解説したのち、「で、陰性です」

え。

自分の仕事は終わった、と、ササーとボリスが去って、10分ほどまたボーッと待つと、「お会計お願いします」と女性が入ってきた。

あ、本当に言ったとおりのインフルエンザの検査しか、してくれないんだ。と落胆し、タクシーを呼び帰宅。

 

インフルじゃないの?

 

となると、なんなんだ。まさか。まさかね。

その日は他の病院を探す気力もなく、引き続きカクテルを飲まされ続ける悪夢を見ながら眠る。

翌、4月10日。

ずっと気になってた、すべての始まりのあの破壊力絶大だった頭痛。

くも膜下出血とかそんな変化球だったりしない?と不安になったので、脳神経外科を有するおもろまちメディカルセンターへ連絡すると、すぐ診てくれるとのことなので、けんちゃんを引き連れて早速向かう。

エントランスで待つように言われる。
やってきた受付の人に案内されたのが、駐車場に建てられた掘っ立て小屋。
このパンデミックが始まってから建てたのだろう、極限までシンプルなこのタイニーハウス。
院内感染を防ごうという心持ちがもう昨日のボリス病院とは全く違う。

けんちゃんは入れないのでしばらく買い物にでかけ、ちびろっくはひたすらボーッと、何かが起きるのを待つ。案外iPhoneをずっと見てられない人間なので、たまに出してみては、引っ込めて、引き続きボーッとする。

 

ミニマリズムな部屋

どれくらい経ってからか、メガネの若い先生と看護師さんがやってきて、問診が始まる。
また一旦引っ込んだ先生が戻ると、

「頭痛があるということなので念のため頭部と、肺炎かどうかを見るため胸部のCTスキャンをします」

おお………!ちゃんと患者として診てくれる!!

平常時の日本であれば当たり前のことだが、電話や駆け込みで冷たくされたちびろっくには、この先生が神のように見えた。

車椅子に乗せられてちょっとVIPな気持ちで撮影現場へ。
鼻やら耳やらについてる金属やらなんやらを引っこ抜き、内蔵と脳みそを透かし見られる。

また掘っ立て小屋に戻り、長引きそうなのでけんちゃんには先に帰ってもらう。

その後どれだけの時間が経ったか。先生が来て言った。

「頭部に異常はありませんでした。くも膜下出血などの心配はありません。咳などもないとのことですが、胸部に肺炎の影が見られます。コロナウイルスの症状ではないという確証を得るため、PCR検査をします。」

不安にさせまいという心遣いなのだろうか。先生は、コロナかどうか確認するため、とは言わなかった。

インフルエンザよりも長いコヨリみたいのを両鼻につっこまれ、ちょっと痛さにびっくり。

検査結果が出るのは2日後とのこと。先生は引っ込み、またしばらくボーッとしていると看護師さんがやってきて、薬を3種類手渡してくれる。細菌を殺すやつと、解熱剤と、整腸剤。

お会計をして、小屋を出る。まるまる4時間、ここにいたのか。

肺炎の影が見える?ああ、そんな人間を昨日のあの病院は見放したのか。院内感染をおそれているならしかし、あのノーガード・ボリスを速攻で出禁にしたほうがいいと思う。多分伝染ったよあいつ。

その日も引き続き39度を保ったが、翌日から少しずつ冷えてきた。とはいえまだ38度。

4月17日から、@abedotcom の四国ツアーに参るべく予約していた愛媛行きの便をキャンセルしたいとANAへ電話する。この予約をした時は、まさかここまで深刻な状態になるとは、というかまさか自分が感染して死ぬ思いをするとは、夢にも悪夢にも見なかった。
「コロナにかかりまして」と申告すると「そんな大変な時にお電話いただいて……!」と超親身に対応していただいた。コロナの無料キャンセルの期間には入らないけど、医師の診断書があればキャンセル料免除という。よかった。

さて翌日、4月12日。ももちゃんの誕生日。
どうせ本人も気づいてないし、お祝いをする元気なんかないのでゴロゴロしていると、病院から電話。

「村上さん…体調、どうですか、辛いです?」と、優しい先生のお言葉。少し落ち着いて来ました、と伝える。そして続く先生の言葉、「検査、陽性でした。」

 

ちびろっくらしくない、流行に乗ってしまった。世界的大流行に。

 

明日から、那覇市立病院が受け入れてくれるとのこと。退院までは2〜3週間はかかるだろうとのこと。
まさかあれから20余年、ふたたび自分が肺炎で入院になるとは。なんだか現実味がない。でも現実だ。

長期戦になりそうだと思い、読んだはずだけど全然覚えていない火の鳥全巻、旅情を味わおうと内田百閒の阿房列車2冊とTransit数冊と…と本を山積みにして準備。
那覇市立病院のサイトを見ると、PCはおろか携帯電話の使用もお控えを…と恐ろしいことを言っている。
さすがにどうにかしないと、と、iPhoneにNetflix動画をとことんダウンロードし、けんちゃんに12GB使えるSIMカードと有線イヤフォンをもらい、最悪のケースに備える。

翌4月13日、朝9時半に病院から来院時間の案内とかの電話が来るはずが、結局きたのが13時、そして14時半に来いとのこと。さすが沖縄のんびりやさんだ!でもこっちは結構急かすんだ!と改めて感心。
しかしどうやらコロナ患者はVIP待遇らしく、PCでもなんでも持ってきて大丈夫ですよーとのこと。最悪のケースは避けられた。

うちには車がなくて、公共の交通機関もタクシーも使えないので、保健所が迎えに来ることに。
必要なものはリュックにまとめ、大量の本はトートバッグに詰めて待っていると保健所の人からけんちゃんに電話連絡。

退院時に、持参したもの破棄されるケースがある

というアドバイスに恐怖し、大急ぎでリュックに詰めた物の中から、必要最低限のものだけ取り出して紙袋に入れ替える。本はすべて諦める。否、なぜかせめて1冊は…と手にとったのがよりによって図書館から借りたものだった。まあいい困った時の対策は後で考える。

「助手席の後ろに座り、絶対に何も喋らないでください」

という電話で伝えられたお達しを心に留め、マンション前に着いた車に乗り込むと、分厚いビニールで仕切られた前席には、イタリアの病院の写真で見たような全身ふわふわの素材で包まれ、ゴーグルとマスク、手袋と露出部分ゼロの保健所職員が2人。おお……これが感染者と対峙する人々の姿か…。

「じゃっ」と、サラっとけんちゃんに別れを告げ、病院へ。しばらく見られないであろう外の風景を堪能する。

 

発熱はしてないけど時間があるからか、随分と長くなったので分割します。
次回、嘘みたいな入院体験記。おたのしみに。

 

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