ポルトガルにて没す 乾燥をなめるな
ベルレンガスに行けず、気落ちしてたら体力も落ちたのか、「なんとなくのどが痛い」程度から、「できれば車椅子に乗りたい」レベルまでだるさアップ。ついに寝込むこととなった。
これから先は長いのに、病院行きとなるのか?しかしその病院はどこにあるのか?それ以前にポルトガル語なんてしゃべれませんが?
ドン・フライ似の宿のおっちゃんに、「具合悪いのでもう一泊」と伝えると、一言「OK!」
‥いや別に、医者を呼んでもらおうとか、薬のひとつでもくれるんじゃないかとか、あったかいお茶でもくれるんじゃないかとか、そんな期待は全然してなかった。してない。いや、した。が、「OK!」という快い返事以上のものはくれなかった。甘えた自分が悪いんだ。
ネットで調べてたら、この国の医療水準は低いとかいう噂だし(その割には老人が元気だが)めんどくさくなったので薬屋に行くことに。
近くの広場のところに、英語の通じる薬局があるらしいので行ってみた。人気店らしく客が多く、忙しそうにささっと対応された。処方されたシロップと薬はポルトガル語表記のみ。なぜかシロップは食後に飲めと言われた。このシロップがなんかうまくて、食後のデザート気分。さすが甘いものが得意な国…おかげでほとんど治った後もしばらく飲んだ。薬のほうはというと、とにかく眠らせる。ものすごい眠くなる。風邪薬じゃなくて睡眠薬なのかもしれない。
とりあえず休養だ。
トドマンに例のサンドイッチ屋でサラダとか、お菓子屋さんでエッグタルトとか買ってきてもらいつつ、養生養生。
薬が効いたのかとにかく寝たのがよかったのか、1日でなんとか目処がたった。
皆ご存知のとおり中国人はほんとどこにでもいるんだが、ここリスボンではすぐ隣で中華料理屋をやっているってんで、病気で心身ともに弱っていたこともあり、うっかり入ってみた。
やっぱり中華料理はおいしいのだ。だが、五目焼きそばと五目チャーハンは、まるきり同じ味なのだ。ビバ完コピ!まあ、いいのだ…。
気持ちよい…そしてついにポルトガル最終日。
最終日のはずだが、夜のバスまでやることがない。
近くの広場をふらふらしていると、警察ががっちり道をガードし、物々しい雰囲気…。姉さん、事件ですか!と緊張してみるが、どうやら何かイベントが行われるよう。芝生で昼寝をしながらそれを待ってみることにした、が、ここはポルトガル。10分20分30分経っても人が増えるだけで何も始まらない。人観察にも飽きたころ、それを察知したか近くにいた子連れの印度系のお父さん(写真奥)がふっと振り返って
「あと5分!(日本語)」
なんで日本語!!
彼とはそれきりだったが、来日経験あるのかとか、聞いてみればよかったな。一期一会、後悔しても後の祭り…。旅で会話を面倒がっちゃいけないな。
騎馬隊、鼓笛隊とオーソドックスな組が去った後は、ミニスカポリス、夕飯の支度中に突然呼び出された風の主婦、福祉施設勤務風の女性、中年ボーイスカウト、お姫様など、まとまりのない組が続く。結局何のパレードだかはわからずじまいだけど、昔から欠かさず催されているような、大切なものである空気は読めた。最終日にこんなパレード、見れてよかったよ!
あのC.ロナウドやフィーゴが生まれ育ったはず、のこの土地では、最後までサッカーは感じなかった。だが人々の優しさには度肝を抜かれた!そしてそれに反しての店員の無愛想さに戸惑った!飛行機が我慢できるのであれば、婆ちゃんになってからもう一度来てのんびりしたいものである。
ありがとう親切な人!さよならパシュティシュ・デ・ナータ!
(ベルレンガスの悲劇はショックの為記憶から消されようとしている)
バスターミナルにたどり着けず、「ここにもう1泊なんてことになったら一体何すりゃいいんだ!」という焦りがつのったが、なんとかギリギリで到着。ぎゅうぎゅうのセビージャ行きのバスにて、知らず知らずのうちに国境越えをしたのであります。
夜中の3時にセビージャにほっぽり出され、途方に暮れる我々